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いけばな作家としての文体とは 

 

 いけばな作家としての文体とは                         

 私はいけばなの制作に携わっている一実作者にすぎない。

物を作る人間は作品自体に自分の語りたいことを語らせればよいという考え方

がある。

私もそれに賛成だ。

 もしそれがインパクトの強い作品であるのなら、作者以上に作品が説得力を持

って歩き出すであろうし、観る物は作者の意図していたもの以上の多くの感動を

そこから引き出してくるであろう。

 だがそのような理想的な鑑賞者がいつでもいてくれるとは限らない。 

 いけばなは作品が完成されると同時に漸次解体に向かうという独特な時間構

造を有する造形であるため、そのパフォーマンスの場は限られ、人々の薄れゆく

記憶の中で、その作品が後々どのような評価を受けていくのかまことに心もとな

い気がする(作者が死んでから突然その才能が発掘されるなどという僥倖は絵

画や文芸の世界では可能であろうが)。  

 その潔さこそいけばなの醍醐味だという人もいる。

 次々と作品が消耗していくだけだと感じる人もいる。

 写真や映画は作品の輪郭を伝えるための補助手段である。

 また、批評はその間隙を言葉によって埋めていき、鑑賞者と作品(作家)の橋

渡しをするものである。

 ひとつひとつの作品を丁寧にフォローして、その積み重ねの中で、ある作家の

造形世界を一連の大きいまとまりとして、観る者に提示することもできる。 

 どこかデラシネのようなこれまでのいけばなの仕事に、それはしっかりとしたバ

ックボーンを与え、作品制作においても一層緊張感をもたらすことだろう。

 鋭い批評眼を養っている人は理想的な鑑賞者となりうる人であり、なおかつ、良

き創作への足がかりをつかむことができる人でもある。

 批評と創造とは表裏一体なのだ。 

 自分の作業と思想の第一の批判者は他ならぬ自分でなくてはいけないし、そう

した厳しい自己批評の問いかけによって、ますます両者の力は高められていくこ

とになるだろう。 

 この連載を引き受けたそもそもの理由もここにあるわけで、私は決して高所か

ら物を見ようとは思わない。

 そんな大それた啓蒙主義は私の力では及ぶべくもない。

 私はまず私自身を撃つつもりでこの小論を書き始めたのだから。

 小器用に論のつじつまを合わせようとせず、読者の方たちと一緒になっていけ

ばなの持つさまざまな問題点に足を踏みこんでみたいと思う。 

 問題の提起だけに終わってしまい、なおさらいけばなとは何か、わからなくなっ

てしまう読者も現われるかもしれないが、早急に結論めいたものを出さず、着実

にいけばなの実体に迫りたい。

 

 読者の方々も気ながにつき合っていただきたい。

 私にとっての役目はいくつかの事を示唆して問題の所在をはっきりさせることで

あって、後は読者の方たちがそれをひきつぎ、それぞれが自分のやり方で答を

見つけ出していくことが理想なのだ。 

 それが批評→創造のプロセスに血を通わせることになる。

 批評する自分と創作する自分との軋轢のうちに思わぬ地平が開けてくることを

願ってやまないし、その結果生まれ出てくるそれぞれの作品に大いに期待したい

と思う。

 もうひとつ、はっきりさせておきたいことがある。

 私は特定の立場に偏ることなく「いけばな」という大きい枠組みの中に自分の自

由な考えを遊ばせてみたい。

 

 これはわざわざ書くまでもないことなのだが、誤解や曲解を受けて主張や論点

がもつれたりすると、読者にとっても私にとっても不幸なことになると思ったからだ。

 そのために私は他流の機関誌や作品集、各流家元の花に対する考え方にも

大ざっぱではあるが目を通したし、これからも目を配っていきたい。

 また各流展、個展、諸流合同展、現代美術家やその他のジャンルの人たちと

の仕事など、できるだけ機会をとらえて見ていきたい。 

 曇りのない眼で見れば良い作品は良いのだし、そこには流派を超えて力強く訴

えてくるものがあるはずだ。 

 昨年のことで恐縮だが、ある流派の雑誌(仮にAとしておこう)のバックナンバー

を順を追って読んでいた時、ちょっとした論争が目に留まった。

 B流の0氏の個展記事が小さなコラムで取り上げられた。

 その書き方についてA流の会員から“0氏に対する正当な評価を欠いている”と

いう内容の抗議があり、それが口火となってその後も二、三の読者たちの賛否両

論がのせられた。  

 他流の作家を取り扱った記事もめずらしいが、抗議文を書いた読者の勇気に

は感心した。

 またそれ以上にその投書を握りつぶさず大きく掲載したA誌編集部の対応は見

識というべきだろう。

 0氏の作品論はさておき、流派意識にとらわれない本当の批評を求める欲求が

いかに強いものであるかということがズンズン伝わってくる熱論であった。 

 これまでのいけばな人はあまりに語らなすぎた。

 それは自分の属する流派に対する礼儀なのか気兼ねなのか、もしそうだとした

ら、それはかえって流派を見縊っていることになるし、ひいてはいけばなを侮るこ

とになりかねないと思うのは私だけなのであろうか。

 

 ある問題提起

 

 純文学の低迷が言われ出してから久しい。

 若者たちの活字離れがうんぬんされると共に、流通経路や販売システムにも問

題があるのではないかととりざたされ、業をにやした日本文芸家協会が純文学専

門の書店を出そうとする動きを見せている(三月十二日付朝日新開)。 

 中でもとりわけ大きい要因として、書き手の側の創作に対する姿勢が疑問視さ

れているらしい。

 芥川賞選考委員の座談会(文学界二月号)では“文章力の低下”“ボキャブラリ

ーの貧困”等、かなり基本的なところで新人たちへの不信感が表明されている。 

 すでに一家をなしたある作家は文学賞の選考会で「ぼくらは文体というものを意

識していた。 誰もが言葉を信じていた。 いまの若い作家には文体を考えてい

る人が一人もいない。 自分の中から言葉をしぼり出してくるというか、自分にと

っての言葉は何かということに拘泥するところから大体文学は出発したと思うけ

どね…」という苦言を毎回のように呈している。 

 これが文学の世界のことであるにもかかわらず、すぐ私の頭に浮かんだのは、

いけばな草月特集号『展覧会のいけばな』の中で美術評論家峯村敏明氏の第68

回東京草月展に対する展評を読んだ時のことだ。 

 氏は“もっと「いけばな」について語ってほしい”というテーマで論を進め「いい絵

は、いや絵が絵である以上は、他の何ごとにもまして必ず『絵画』自体について

語っている。芸術とは自らの歴史の概念の広がりを生成する再帰性のファンタジ

ーだからだ。

 『いけばな』作品とても、もしそれがそれ自身の歴史と概念的奥行きを持つ自立

した芸術の申し子であるならば、必ずや『いけばな』について語らずにおくまい。」

 と、厳しい批判を展開している。

 また同号の座談会においてもいけばなのアイデンティティとは何なのかという本

質的な問いかけが行なわれている。 

 氏の考える「いけばな」がどのようなものなのかいまひとつわからないが、一昨

年の東野芳明氏も同様な展評を寄せているので、これらの問題提起に対して私

たちは謙虚に耳を傾けるべきだろう。 

 「現代美術」のみが世界に開かれた窓で、「いけばな」はにせものだというような

単純な切り捨て方、その逆に日本の現代美術は西欧やアメリカの後追いであっ

て、いけばなこそ日本固有のオリジナリティーを持つものなのだとか、そういった

乱暴な居直り方をしているのではいつまでたっても何も始まらない。 

 批評されることに対しての対応の仕方が未熟であるのがいけばな界の弱点だ。

 もしそれらが率直な批判であるならば、私たちは冷静にそれを受け止め、自分

たちの作品や制作方法を再検討しなくてはならない。 

 ここでひとつ断っておくが、アイデンティティとはなかなか一筋縄ではいかない曲

者の言葉で「はい、ここにこのようにいけばなのアイデンティティがありますよ」な

どと簡単に言い切れるものではないということだ。 

 一定のモデルがあるのではなく、いままでの数々の作品(過去)を通して普遍化

された概念がいけばなのアイデンティティだとしたら、当然新しい画期的な作品が

出現すれば従来のいけばなの枠組みを広げて対応していかなければならない。 

 そういった発展的な広がり(遠心的)がいけばなには備わっていると思うし、生

きて動いているからこそ、私たちの創作にもアクチュアルにかかわってくるのだ。

 新しい作品によっていけばな史の中に新たな一ページを加えていくこと。

 それが今後のいけばなの豊饒化につながる。 

 ゆめゆめいけばなという確固とした実体があるなどと思ってはならない。

 そうした考え方の延長線上をたどっていけば、いけばなはどんどんやせ細って

いってしまう。 

 物事が停滞していたり、あまりにアナーキーな様相を呈し始めるとややもすると

安易に“○○へ帰れ”と言われがちだ。

 いわく、芭蕉へ帰れ、利休へ帰れ、etc。

 そのような言い方をすれば何でも事足れると思いこんでいる人が実に多い。

 ただ単に帰るだけでは全く能がない。

 かえって保守的な渦にのみこまれてしまいかねない。

 そうではなくてその帰り方が問題なのだ。 

 私たちは1987年現在でこれこれこのようないけばな表現に達している。

 だからこの基盤に立ってもう一度表現の問い直しをクリエイティヴに図るという

ことなのだ。

 新しいものはその新しさのゆえに多少の難解さや冒険がつきまとう。

 だがもしそれが本物ならば、批評の側はそれらが流産に終わらぬように暖かく

見守り、ときには育ててやらねばならない。 

 “これはいけばなではない”“あれは違う”などとNONを連発していたら、あるい

は作品の完成度だけにこだわっていたら、本当に面白いユニークな作品はでて

こない。 

 いけばなの正体をつかまえようとして、つかまえてみたら、実はそれは過去のも

のでしかなく、真のいけばなは私たちの常に数歩先を行っているというような終わ

りのない追跡の旅。 

 これはチャンドラーやロス・マクドナルドを読む楽しさにも似ている。

 私もせいぜい名(迷)探偵きどりで犯人を追いかけてみよう。 

 

 素材と文体

 さきほどの文体の問題に戻ろう。

たとえば小説は、日常使用されている言葉を駆使してある虚構をつむぎ出してい

く作業だ。

それは日常目にしている植物という既成品で作品を構成していくいけばなに、あ

る部分で通底している。

 

 「文体というのは作家が描こうとする対象にせまりながら、その内容をとらえるこ

とばを選び、その内容を限定する形容詞、副詞の配置をさだめて文章をつくって

ゆくとき、生まれてくることばの言いまわしのことである。いや、そのことばの言い

まわしのなかをつらぬいて、その言いまわしを生きたものにし、生き生きとしてそ

の対象をとらえるものにする、文章の力のことである。」(野間宏「文章入門」)

 

そうして醸成された文体は、自然に小説を、文学を語り出していき、それはまさし

く映画や演劇とは違う、小説が小説そのものとして存在する裏付けを与えること

になるのだろう。

 

 いけばなにとっての“文体”にあたるものを考えることは、峯村氏言うところの“

いけばなのアイデンティティとは何なのか”という問いを考えることにつながると思

う。

 他分野からの概念を導入して論を進めるには抵抗があるかも知れないが、い

けばなの側にはこのような適切な言葉が見当らないのであえてキーワードとして

みた。

 

 今回はこの“文体”という視点を通して制作者のかかえている多様な問題を外

側と内側に設定して考えてみた。

 

 まず外側の問題とは小説におけるところの言葉、つまり表現するための素材の

ことで、いけばなでは植物というものの可能性を洗い直しそれらをどのようにデフ

ォルメし(あるいはデフォルメをこばみ)組み合わせていくかということだ。

 

 いけばなをやる人間のよって立つ基盤として、植物をどのようにとらえるかとい

うことは最大にして最終的なテーマといってもさしつかえない。

 

 成長過程に、あるいは腐敗過程に向かいつつある現在進行形の素材をあえて

ピックアップして造形するということは、すでに最初から造形することを放棄してい

るようにもみえる。

 

 中世の茶人たちは不完全なもの、何か満ち足りないものに対して憧憬に近い

美学を抱いていた。

 花は散りゆくものであるからこそ、一場の時間の貴重さを強調できた。

 それは明治以後西欧がもたらした造形の論理とは少し意味あいが違っていた。

 未完の素材を限界としてとらえるのか、逆に積極的に有効な武器として使って

いくのか、作家の決断がここで大きく問われているし、ここの選択いかんでそれぞ

れのいけばな観が別々の方向へ歩み出すことになる。

 最近、異質素材への安易な傾斜が指摘されている。

 このことは環境というエレメントとかみ合って根が深く、次回以降の課題としたい

が、異質素材の導入にはいけばな史の中でそれなりの必然性があったように思

う。

 立華が頂点をきわめた室町の頃には花木(花の咲く樹木)の輸入栽培が全盛

だったし、茶花に使われる植物はその反動もあってか、軽い野草が好まれた。

 盛花形式が一世を風靡した明治・大正にはヨーロッパなどから強烈な色と形を

持った花々が流入してきた。

 新しい花材が日本に入ってくるたびにいけばなは新しい文体を生み出していっ

た。

 そして植物素材がほとんど出揃って先行き新花材の登場が見こまれなくなった

近代という時代がきた。

 花道家の中には一抹の不安を抱いた者も少なからずいたに違いない。

 そして目をつけたのが植物以外の素材、石であり、鉄であり、プラスチックであ

り、ガラスであった。

 それと共に西欧の造形論理が一層強固なものとして人々を魅了していき、可塑

性のある素材は作家意識を助長した。

 新しい素材(花材)の発見は新しい文体の発見に直結したのであるが、異質素

材の発見は他の美術との接触によって微妙な摩擦を生じた点が、いままでとは

大きく違っていた。

 いけばな作家の文体がいつしか現代美術家の文体と交わるようになってきた

のだ。

 そこにおいていけばなのアイデンティティという設問が再び頭をもたげてくる。

 目新しい素材を上辺だけ追いかけて作品化することは 「いけばな」 の世界だ

けには通用するかもしれないが、具体からアンフォルメル、さらに反芸術、コンセ

プチュアルアート、ミニマルアート、モノ派など、戦後四十年にわたって展開し、そ

れなりの実りをもたらしている日本の現代美術界の側からしてみれば“コップのな

かの嵐”として映り“きのう”や“おととい”の現代美術の影響として軽くいなされて

しまう結果に終わる。

 「いけばな」だからという甘えは許されず、美に携わる者としては、日本および海

外の美術史の流れを十分考慮して、いけばなの独自性を堅持しつつ、その文脈

をふまえて自分たちの作品化を図らねばならない。

 そうしたものを通過したうえではじめて作品は自立したものとなっていくし、カッ

コ付きのいけばなから脱皮することができるのではないだろうか。

 

 集団の文体

 

 植物はそのように未完成であるものの、いや未完成であるからこそ、あるかたく

なな形あるものとしてすでに存在しており、おいそれと都合良く別の形に変貌して

はくれない。

 各流派の型(形としての作品ではない)と言われるものはその誕生当時には傑

出した表現方法であり、先人たちの苦闘の末に提出された回答であった。

それらは先程も言及したようにいけばなが獲得した文体でもあった。

 不思議なことにその文体は個人の表現としてではなく、秘伝と称され閉鎖した

集団の中で受けつがれていったのだが、気がついてみるとみんながみんな同じ

ような文体の世界に何の疑問も抱かず浸りきっていた。

 新鮮であった文体も時間がたつにつれ歴史的な垢がつき始め、この文体でい

けておけば観る者にはわかりやすく喜ばれることであろうという、可もなく不可も

ない表現形式になり下がり、文体とは呼べなくなってしまった。

 それが浸透した結果、いけばなは作り手と鑑賞者との間の単なる記号でしかな

くなり、彼らはそれを見て(というより確認して)なぜか安心するのである。

 芸術の側からみればこれは巧妙な盗作であり、作家としては致命傷にあたるわ

けだが、古いいけばなの世界では逆にそれは手柄であった。

 形にならないものを存続継承していくには逆説的にそれらをある一定の形式に

パックして伝達していかなくてはならないというジレンマを、日本の伝統芸能は有

していた。

 “モノ”として時間的な洗礼を受けてきた工芸品や建築物であれば、そこに私た

ちはわびやさびといった独特な味わいを感得することもできるが、いけばなは一

回一回消えていってしまう“モノ”であり“コト”であることによって、それはいつも“

現在”という時点で鑑賞され、批判の対象としてみられる宿命にある。

 いけばなが瞬間的とはいえ、外側の素材にたよって造形していかねばならない

ものならば、それはいくら悪あがきしたところで開かれたものになっていくことは

明らかである。

 仲間うちだけのサロン的な温室にかこいこまれていたいけばな人は“モノゴト”

を創造していく作家としての自覚と責任に乏しかったし、正当な批評の役割をな

いがしろにしてそれを育てようとしなかった。

 外側からの問題提起がここにきて明確に内側の問題に斬りこんでくる。

 つまり歴史的な流れの中にかいまみえるいけばな人とは、一部のエリートをの

ぞいて作家というよりも師匠であった。

 作家−作品(モノ)、師匠−弟子(ヒト)とおのおのの組み合わせの言葉を想定

してみるとわかりやすい。

 現代においてもいけばなを仕事とする人たちの一番の経済的基盤はいかに多

くの生徒を集めるかによっている。

 それにくらべてショーウインドウにディスプレイしたり、舞台空間に合わせて作品

を制作したりしている人たちはまだほんの一握りだということ、また、展覧会に出

品した作品は絵や彫刻と違って売ることができないということ、それらの現実はい

けばな人が作家になり切れない厚い壁になっている。

 江戸時代にはその師弟関係が最も強く結合した時期で、それはやがて墳末で

空疎な権威主義をはびこらせ、権力者たちに都合良く変形された道徳が前面に

押し出された。

 

 個人の文体

 

 そのような長い習慣化された時間の重みは知らず知らずのうちに私たちの体

にしみこんでいるのかもしれない。

 そんな中で植物の生死にかかわる厳しい造形への目が開かれないのはむしろ

当然だ。

 ただうわついたお遊びや馴れ合い、硬直したものの考え方でいけばなに向かう

ことは植物に対する甘えであり、欺瞞でもある。

 本当に表現したい切実なもの、真の感動が果たして根底にあるのか、そしてそ

の感動を客観化して突き離して見ているのか、私たちはもう一度創作の原点に

たち返る必要がありそうだ。

 素材をみつめる中で作家の思想が煮つめられていく。

 昨年(1986)の草月展は水がテーマだった。花展を前にして私は久しぶりに旧

友と会って水について話した。

 水とはあくまでも清く透明で、豊かであり、大地自然の母であるというような誰に

も理解されやすいプラス指向のイメージを抱きやすい。

 だが自然保護の釣り人の会に属して活動している彼にしてみれば、現代の水

は汚染された川の泥水であると言う。

 同じ質問でも立場の違う人間によってさまざまな答が返ってくる。

 作家は現代空間に切り結んでいく尖兵であるから、対象に対するあらゆる見方

、考え方をしまっておけるような大きな器を、まず自分の中に作っておかなくては

ならないと思う。

 特に、見落としがちな少数者の視点をいつもフォローしておきたいものだ。

 それは作家の存在理由にもつながる。

 泥水というアイディアを得たならば次にはそれを発想倒れに終わらせないよう、

十分に説得力を持つ作品(形)にしなくてはならない。

 その時から作家としての文体の掘り下げが始まる。

 山を登るにしても、踏み固められた正規のルートを行くのか、いちいちハーケン

を打ちこんで断崖絶壁をよじ登っていくのか。

 ひとつ間違えば転落して命を落とすことにもなりかねない。

 しかし困難だがやりがいのあるそのルートを発見しつつある以上、どうしても登

山家(作家)は登らざるをえない。

 古い体質のいけばな人は自己規制の習慣から抜けきれず、流派の名を汚すか

もしれない大胆な冒険は回避しがちだ。

 それは体内にしずんだ澱のようなもので、規制を規制として意識することさえな

いのではないだろうか。

 自分の内なる見えない鎖を断ち切り、何ものにも束縛されない自己を取り戻す

ことが、まず作家としての一歩を踏み出すための試練だ。

 これは生やさしいことではない。私など何度もこの巧妙な罠に落ちて同じ所をウ

ロウロしている。

 意識の変革を通過した後に、再度植物を直視してみれば、いままで聞こえてい

なかったものが聞こえてきたり、見えていなかったもの、見ようとさえしなかったも

のが見えてきたりするのだと思う。

 そのようにして引き出されてきた植物の送信音はいったん作家の行為を透過し

て再びフィクションとして生まれ変わる。

 その過程に個性豊かな文体が形成され、可視的なものではないにもかかわら

ず、フィクションとしての作品の周辺には作り手の息づかいや肌ざわりが感じられ

強力な磁場となって観る者をひきつける。

 作家+素材+時空間(場)の生きた動きの中で文体が生成されるのではない

かと思う。 

 だから素材や空間が違ってくれば異なった文体ができあがる。

 だが常に統合者としての作家の思惑や行為が作品化の過程で大きなウエイト

をしめるわけで、違うおもむきの作品でもよく味わえばそこには共通した水脈が

感知される。

 文体を得ることに成功している作家はいろいろな素材を相手にするより、ある

特定な素材をきっかけにして開眼する場合が多い。

 波長の合う素材を執拗に掘り下げ、表現とは何かを問い続けることによって、

自分の求めていた文体がやがて確かな手ごたえとなって定着していくのだろう。

 破格の文体の持ち主、中川幸夫氏の個展“無言の凝結体”を見た(1987年3

月13日〜28日・銀座・自由ケ丘画廊)。

 小さな画廊に一歩足を踏みこんだとたん強烈な発酵の臭いに襲われた。

 赤黒い粘土状と化した一万五千本のカーネーションが、広げられた白い紙の上

にさまざまな形となって配置されている。

 開ききってその使命を果たしたと思われた赤い花。

 が氏にとってはその後の変貌こそ凝視すべき対象であった。

 死に向かいつつある中で花は血を流し恐ろしい顔を見せ始める。

 それは花たちの毒を秘めた沈黙の叫びであるかのようだ。

 中川氏とは異なって、樹木の生命力をさわやかに表現しているのが“TO THE

DEPTH”に出品された崔在銀氏の大作だ(螺旋の国のヴィーナスたちTO THE 

DEPTH・1987年3月19日〜4月29日、南青山・スパイラルガーデン)。

 削りかけの自然木を横に組み上げて巨大なドームを作り、その中から7mのく

ぬぎの大木を空に向けて突き出している内部空間に入りこむと木の香と土の匂

いがすがすがしく、なぜか気持ちが落ち着いてくる。

 たまたま会期が重なっただけのことで二人を強引に比較することはできないが、この鬼才と新鋭は凝縮と拡散、死と生、花と樹木等全く対照的なヴィジョンで仕事を進めているところが面白かった。

 またそれと同時に、ずっといけばな界のアウトサイダーであり続けている中川氏

と、いけばな界の古い体質がすっぽりと抜け落ちている崔氏の二人が、独自の

文体で活躍しているということの意味は、私にはきわめて興味深く思われた。

 確立されたいけばな作家の文体とは、植物がきっちりと構成されているのと同

様に、内側から作品をゆるぎないものにする役割をになっている。

 それはまた、いけばなそのものを語り始めるに違いない。

 

               (了)