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風は見えますか〜内なる自然・外なる自然〜 

 

風は見えますか                  

〜内なる自然・外なる自然〜  

   いけばなアレルギー

 

 昨年(1987)、福島加寿美さんが『いけばな南米を行く』という本を自費出版さ

れた。

私にも一冊贈っていただいたので早速読み始めたのであるが、これがなかなか

面白く、一気に読了してしまった。

 これはいけばなに全く関係ない人たちに是非読んでもらいたい本だと思った。

 そして今年の六月、彼女は期するところがあったのであろう、再度、南米のいけ

ばなデモンストレーションを題材にして「地球の裏側に生ける」という作品で潮賞ノ

ンフィクション部門に応募、見事に優秀作を獲得した。

 一口にノンフィクションといってもその書き方たるやなかなか大変だ。

 実名を出したらもしかして思わぬところに迷惑がかかりはしないか、古いいけば

なの世界では「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿法則がまかり通っているので

はないか、などとあらぬ心配をしてしまいがちだ。

 「そして誰もいわなくなった」なんて恐ろしい状況もチラチラしてきて、それは当

然のこと、筆の動きを鈍くしてしまい、結局、中途半端なものに終わってしまうこと

になる。

 そうした神経をつかう瑣末なことを一切振り切って、福島さんは快調に第二作を

書かれたことと思う。

 今後も続編を期待したい。

 「潮」七月号には選考委員(本田靖春、築紫哲也、柳田邦男)らの座談会の記

事が掲載された。

 その中で気になる発言がいくつかあったので以下に書き出してみた。

 本田 私は「なんだ、生け花の話か」と思って(笑)、最後に回したんです。(中略

) 私みたいに拒絶反応を持っているものも引き込んで、説得できるわけですか

ら、文章もいいということです。(中略)

 築紫 日本紹介といえばいつも生け花と茶道。いつまでそうなのか。花を愛でる

という人類普遍の心情のなかでなぜ生け花だけがそんなに特権的地位を保てる

のか。中でも、この世界の現況は生け花の原点から背馳する現象が目立つよう

に見えるとき「いまさら生け花」という“偏見”を持つのは私一人ではないでしょう。

この作品は、そういう意地悪な視線を見事に跳ね返してあまりある。それは筆者

がしなやかですぐれた感性の持ち主だからでしょう。

 結局は彼女の文章に脱帽し、いけばなを再認識するようになったので、それほ

ど拘泥したくはないのだが、それにしてもいけばなにかかわりの薄い人たちと我

々との間の大きなギャップに少なからずショックを覚えた。

 いわゆる一流文化人と言われる人たちにして(いや、一流文化人だからこそと

言うべきなのか)このようなお粗末ないけばな観なのである。

 日本の伝統うんぬんを語る前にもう少しいけばなの新しい動きを把握する努力

もしてもらいたいと思うのだが、こうした言動は無邪気なほど正直な感想だとも言

える。

 例えば、いけばなにほとんどタッチしていなかった学生時代の私であったならば

“お茶やお花”に対して驚くほど似たような拒絶反応を起こしていただろう。

それは家元制度という前近代的な管理システムによって社会の動きから全く切り

離されたところにある世界であり、女性たちの優雅なお遊びである、というような“

偏見”がどんどんエスカレートしていくからかもしれない。

 彼らの偏見を助長している責任の一端はいけばな界の体質にあるということを

認めるのはやぶさかではないが、新しい光だって射し始めているのだということ

にも眼を向けてもらいたいものだ。

 社会的通念としてのいけばなの位置の低さ,また、そこに横たわる大きなクレバ

スを前にして、私たちはいかにしてそれらを埋めていったらいいのかという戦略を

もう少し本気になって考えていってもいい。

    

   遠ざかる自然

 

 さて、一番気掛かりな発言は築紫哲也の「生け花の原点に背馳するような世界

の現況」という言い方であった。

 いけばなの原点とは何か。

 人それぞれによって違った答えが出てくるであろうが、ここで彼の言う原点とは[

植物を切り取る]ということであろうと憶測する。

 枝を切り、花を切ることによっていけばなの行為がスタートする。

 それは連想としてここ数年のエコロジー的な思潮の高まりや、環境破壊問題に

つながっていくのであろう。

 前回も少し触れたように、花展で捨てられたゴミを作品化したもの、血を流して

いるようなカーネーションの肉塊など、我々の前に我々の汚れた手そのものを提

示した作家たちがいる。

 それらはいけばなをする人間たちを戸惑わせる。

 もちろんそうした道義的な責任の取り方がどうこうというのではなく、それでも私

たちは植物を切らずにいられない、花をいけずにいられないといったディレンマを

ディレンマとして真剣に受け止め、いけばなをやる限りそうした生命に対する、自

然に対する接触の方法を考え抜いていかなければならないことを思い知らされる

のである。

 都会は脱自然化してコンクリートのビル、ブラックボックスの機械類に包囲され

、ますます人間と自然との間の距離が遠退いていく。

 深い知恵の源泉であった自然に背を向けたもう一つの自然である人間たちは、

驕慢になり自信過剰になって、自分たちも一個の肉体を持った生物体であるとい

うことを忘れがちである。

 生物集団としての基本的、本質的な共通性をいまこそはっきりと認識すべきだ

 最近ではよく森林浴という言葉が使われる。

 植物自体から発散される芳香性の微細物質(テルペン系物質)がフィトンチッド

と呼ばれて人間たちの精神を和らげたり、活動力を高めたりするそうである。

 だが元の意味を調べるとフィトンとは“植物”、チッドとは“殺す”というギリシャ語

からきた言葉だそうで、細菌などを殺して浄化する能力のことなのだという。

 「微生物を殺す作用を持つフィトンチッドの一つであるテルペン類を、人間はむ

しろ薬物として文字どおり自家薬籠中のものとして利用するようにしてしまってい

る。

 また、人間は森のなかの空気を利用して森林療法をやったり、林間学校で青少

年の心身をきたえたりしている。

 しかし、これは植物の人間に対する好意の効果であろうか。

 だが人間は森を破壊し、植物を死滅させたりしている。

 その意味では植物にとって人間は最悪の敵であろう。

 それなのに、人間に害を与えるフィトンチッドは発散されていない。

 植物が微生物から身を守るために、フィトンチッドを発散するようになったのと

同じように、人間に対するフィトンチッドを、やがていつかは出すようになるのであ

ろうか。

 地球上のすべての樹木が、人間などへの毒物を発散するようになっていくので

あろうか」

            (「森の不思議」神山恵三)

 著者は楽観的にそうはならないと結論しているのだが、私はこれを読んだ時、

ゾクゾクとしてきた。

 いつの日か横暴をきわめる人間に対して植物たちが強力なフィトンチッドを出し

て反撃にうってでるなんてあまりにもSF的発想だろうか。

 樹齢数百年という大木をチェーンソーで斬ればたった数分で終わる。

 この時間の対比は空恐ろしい。

 「2001年宇宙の旅」の冒頭では猿人が動物の骨で遊んでいるうちに“打つ”“

打ち据える”という凶器としての道具の発見に目覚めていくシーンがスローモーシ

ョン撮影によって繰り返される。

 人間のテクネー(技術)の発見は凶器の発見につながり、それは結局のところ

自分で自分の首を縛るような原爆や原発へと一直線に繋がって行った。

 知性は常に罪の発生を呼び起こしていくというアポリアがつきまとう。

 

  万緑の中や吾子の歯生えそむる    草田男

 大自然のふところに抱かれスクスク育っていく人間といったようなイメージが現

代には果たして成立するのであろうか。

 緑が緑でなくなる日はそう遠くないのかもしれない。

                   

   植物…… その叫びとささやき…

 

 私事で恐縮ではあるが、ささやかな体験を話しておこう。

 八月、草月会館内のプラザに植物のインスタレーションを行った。

 約一カ月という長い期間、それも一番暑い時期に生の植物を使ってやって欲し

いという要請は私を戸惑わせた。

色々考えた末、四十台のレール形の鉄花器を作り、そこにふといを一回に五千

本ほどさし、プラザに緑の線の流れを出してみることにした。

いけかえも全く構成を変えて一週間単位に行った。

 自宅で試作をしてみた結果、ちょうどそのくらいでふといの切り口と先端から始

めは黄色く、そしてしだいに茶色く変質し始めた。

 長丁場なので生と死の葛藤、あるいは淘汰されていくものたちへの視線などと

いったような、時間の推移による植物の貌の変容も見せたらおもしろいと思った

のだが、実際にやってみるとそれらの枯れていく時間の速さにびっくりさせられた

 いけて二日目にはすでに茶色いふといが一台の花器に数本散見された。

 時間の推移を見せるからといっても、私はできるかぎりふといに水をやり、枯ら

せまいと努力したつもりである。

私のそうした意志とふといの枯れ急ぐ意志がぶつかりあって最後は少々疲れを

感じた。

 なぜ私は水をやり続けなければならないのかという素朴な疑問に問われ続けた

のだ。

早く土に帰してやるのもーつの植物とのつきあい方であろうとも思った。

 私たちはアルコールや焼き明磐などを使い、できるだけ植物たちの延命をはか

っているのだが、それはあくまでも人間のご都合主義によって、少しでもその美を

引き延ばそうとしているだけだ。果たして植物たちのホンネはどこにあるのだろう

 水をやり続けても、いけかえを続けてもどんどんと立ち枯れていくふといは、まさ

に自分の死を賭して人間たちの専制に最後の抵抗を試みているようにも見えて

きてしまった。

 だから私はそれをそのまま受け入れることにした。

 私の意図した「植物に語らせるもの」は「植物の語るもの」となっていったのであ

る。

 二年前、私のところに知人から電話があった。

 「植物にある液体を注入してやるとちょうど凍結状態になり、木々の緑が爽やか

な緑のまま、花の輝きがその項点のまま半永久的に楽しめることになったのです

が、そういった植物たちを使ってみる気はありませんか。そしてもし良かったらそ

れらを使ったディスプレイもお願いしたいのですが…」

 私はそれを半信半疑で聞いた。

実際にこの眼で確かめなくてはどうもマユツバだと思った。

数回連絡があったがいつかその話は立ち消えになった。

 話しぶりも「やはり花は駄目だそうで、木だったら何とかなりそうです」とか、だん

だん話のニュアンスが現実に近づいていったので、やはりそうかと内心ホッとした。

 ところが今年の初夏、テレビのニュースでなんと知人の言っていたことが現実

のものとして目の前に飛び込んできた。

 その映像には紫陽花の気品ある紫色がみずみずしく映されており、それはある

液体を注入され、凍結された状態の紫陽花であるとリポーターの声が流れた。

  バイオテクノロジーと一言で言ってしまえばそれでなんでも納得してしまうとい

うわけ にはいかなかった。

 花をいつまでも開花の状態で楽しみたいという人間たちの願望、またそれらの

願望の隙間をぬって、ひと儲けしようとする人間たちの利欲の渦のなかで、私た

ちは何か大切なものを忘れてしまったのではないか。

 大坪光泉ではないが誤解を恐れずに言えば、それらの紫陽花はそれこそ“植

物人間”というべきか。

 「花よ、もしミカドの国にいるのなら、いつかは鋏と鋸に身をかためた恐ろしい人

に出会うかもしれない。

 その人はみずから『花の師匠』と名のっている。

 彼は医者の権利を要求する。

 だから、本能的にかれを嫌うだろう。

 医者というものは、その犠牲となった人の苦しみを、いつも長引かせようとする

からである。

 かれは、お前を切って、撓め、ねじって、とんでもない姿にかえてしまうだろう。

 かれは、そうしたかっこうこそ、お前にふさわしい姿なのだと信じている。かれは

骨接ぎかなにかのように、おまえの筋肉をねじ曲げ、関節をはずしたりするだろう

 出血を止めるために、真っ赤に燃えた炭火でお前を焦がしたり、循環をよくする

ために体のなかに針金を突き刺しこむこともあろう。

 塩、酢、明礬、ときには硫酸までも、おまえたちに食べさせようとするであろう。

お前たちが気絶しそうになると、熱湯を脚にそそいだりもするだろう。

 かれが誇りとするところは、かれの治療を受けない場合より二週間以上も、お

前たちの寿命をながく保たせることができるということなのだ。

 お前たちが、はじめ捕らえられたとき、その場で殺されてしまった方がましだっ

たと思わなかったろうか。

 お前たちが、このような罰をうけねばならぬとは、いったい前世で、どのような罪

を犯したというのであろう。」

     

        (『茶の本』岡倉天心 宮川寅雄訳)

 

 岡倉天心のやや思い入れ過剰な文章はこの後、美の宗教のためには花を切

ってもいいではないかと答えを出しているが、現代はこうした高踏的な考え方だけ

で世論を説得するのは難しい。

 あまりに芸術家の仕事を聖化しすぎているようだ。

 そこで「芸術」というワクを超えて、もう一つ違ったパラダイムを想定してみたら

どうだろうか。

 私たちが小さかった頃、夏休みの宿題には必ずといってよいほど昆虫採集とか

野草の採集などがでたものであった。

 ところが最近の子どもたちにはそういったことはあまりない。

 あったとしても朝顔の観察とか蝶の観察とかである。 身近に適当な動植物が

みられなくなってしまったという外的条件のほかに、むやみやたらに花や虫をとっ

てはいけないという教育も多分に影響しているようだ。

 もちろん自然の大切さ、生命のかけがえのなさを教えることをおろそかにはで

きない。

 だが、動植物に対して常に外側から距離をもって接するだけで本当の自然が

わかるのであろうか。

 人間と自然は別々に存在するのではない。

 人間は自然の一部だし、そこには当然もっと本能的体感的なつきあい方があっ

ていい。

  例え結果的には傷つけてしまったとしても彼はそのサクリファイス(犠牲)の上

に、自然の不思議な叫びやささやきを聞き分けられる人間になっていくかもしれ

ないのだから。

 自然と人間との間の果てしない断絶状態のなかで、いけばな作家はそのフロン

トとしての立場にたつのであるから、植物と人間との関係に新しい哲学を模索し

ていかねばならない。

 つまり「花を切る」ということに対して少女っぽい感傷や道徳観とは離れたところ

で、きっちりと考えてみるべきだし、できるかぎり考え続けていかなければいけな

いと思う。

  

   自然との対話

 

 いけばな作家と自然という問題を考えているうちに、A・ゴールズワージーの名

前が浮かんできた。

 彼はイギリスに生まれ、自然の中に入って制作を続けている美術家であるが、

昨冬来日し、三重県や福井県の森林に滞在し様々な作品をその環境と一体にな

って作りあげた。

 彼の行動原理は丸腰で山に入っていき、ダイレクトに自然と自分との交感を果

たし、その結果として、その場に造形物を置いてくるということだ。

 私はそのことを知らずに彼の作品写真だけを見た時、そのズーム的な手法は

あまりに小さなことにこだわりすぎてひ弱に見えたのであったが、“何も持たない

自分”と“大自然”との状況設定を考えると、改めて彼の制作哲学がユニークに思

われてきた。

 桜の葉のパッチワークは彼のツバで接着したものであり、氷に描いた線はあっ

というまに崩壊してしまう。

 もちろん大作の場合はチェーンソーや斧などを使用する場合もあり、それはそ

れでやむを得ないが、丸腰で作った彼の作品のほうがゴールズワージーという作

家を身近に感じられてくる。

 この技術偏重の時代に敢えてこうした原始的とも言える不自由さを選択した彼

の発想の自由は、われわれ現代人に多くのことを問いかけている。

 彼の制作の第二の特徴は完成したものをその環境から切り離さず、それらの

作品は彼のカメラに収められて初めてわれわれの目の前に形となって表れると

いうことだ。

 それは作品第一主義という硬直した美術の考えからは生まれ出てこない。

 自然を破壊する技術(道具)を捨てた彼は自然を伝達する技術(道具)を唯一

の手段としてわれわれとコンタクトを図る。

 逆に考えればカメラという技術があったからこそゴールズワージーという特異な

作家の存在が確認されたとも言える。

 昔、彼のような哲学をもつて森へ入った人間がいたとしても美術史の視界には

入ってこなかった。

 一原始人がアルタミラの壁画を描いたように、森番や狩人らが自分たちの存在

証明ともいうべき森の造形物を退屈しのぎに制作していたのかもしれない。

 ゴールズワージーは自然と対話するために自らを森林の奥深くに踏み入らせ、

肉体全体でその環境にこたえていった。

 仕事に追われている現代人には彼のような行動はしたくてもできない。

 彼が持ち帰ってきたスナップの数々に見入りながら嘆息をつく。

 たまの休日に野山にでかけ釣をしても一匹もつれなかったり、どうやって煮たき

をしてよいかもわからない。

 ロビンソンクルーソーではないが、絶海の孤島にたどり着いたとしたら、ひ弱な

現代人は真っ先に落ちこぼれていくにちがいない。

 農業、林業、漁業に従事するいわゆる第一次産業の人たちの激減は、そのま

ま自然観察者の激減を招き、彼らたちに代わってほんの一握りの選ばれた芸術

家や生物学者が大自然の前に立とうとしている。

 そのような状況を踏まえると、植物という最も象徴的な素材と対峙するいけばな

作家たちに課せられた期待は大きく、自然と人間とのかかわり方という深いパラ

ダイムを考慮させずにおかないであろうし、それだけ外部からの視線は厳しさを

増していく。

 

  自然を呼び入れた利休

 自らを森林に入れるという考え方とは反対に、自然を自らの内に呼び込むこと

もできる。

 十六世紀、自由都市堺に生まれた町衆千利休は、都市に自然を呼び入れ、自

らの自然をそこに合体させた人としてもユニークであった。

 彼が大成させたわび茶の美学はそれまでの書院茶とは違い、自然の豊かさか

ら多くのことを学び取っている。

 茶室の構成そのものが自然の素材をそのまま生かした大胆な草庵であること

は言わずもがなである。

 当時の宣教師ロドリゲスは“市中の山居”として茶室建築の隆盛ぶりを記録にと

どめている。

 利休はアーティストとしてもアートディレクターとしてもすぐれ、自然を圧縮したよ

うな楽茶碗をデザインして長次郎に作らせたり、自らも合戦の合間に山に入り竹

の花入れを作ったりしている。

 都市文化の絶頂期、安土桃山時代は異国からの(人工的な)文物の流入によ

ってその活力を増大させたが、自然を透視する利休の哲学からも大きなものを

受取っている。

 威風堂々とした立華、都市の混沌とした様相、しだいに豪華絢欄さを増す時代

のムードとは反比例するかのように、利休は茶室をどんどん狭くしていきながら

彼の宇宙を拡げていく。

 「小座敷の茶の湯は、第一仏法を以って修業得道する事也、家居の結構食事

の珍味を楽とするは俗世の事也、家ハもらぬほど、食事ハ飢えぬほどにてたる

事也、是仏の教、茶の湯の本意也、水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶をたて、

仏にそなえ、人にもほどこし、吾ものむ、花をたて香をたく、ミなミな仏祖の行ひの

あとを学ぶ也」               (『南方録』)

 仏教観の濃い言い方ではあるが利休の茶の精神が、桃山という時代に厳しく

対峙している。

「花をのミ待つらん人に山ざとの 雪間の草の春を見せばや

 (中略)

世上の人 そこの山、かしこの森の花が、いついつさくべきかと、あけ暮外にもと

めて、かの花紅葉も我心にある事をしらず、只目に見ゆる色バかりを楽しむ也、

 ここでは藤原家隆の和歌をあげて茶の湯の極意を説いている。

 “花をのミ待つらん人”とは当然、都市に住む人間、町衆であると仮定するなら

ば、彼らに“山ざとの雪間の草の春”に象徴される“自然”を利休は可視的なもの

として街中に現前せしめようとしたのではなかったか。

 もちろんそれらは“我心にある事”ではあるのだが、それは利休の仕掛けたわ

び茶の湯によって初めて我が心の内なる自然が見えてくることになるのであった

 利休の内なる自然の発見はしかし、自然の模倣ではない。

 一輪の朝顔のために庭に咲くすべての朝顔を切り捨てた有名なエピソードはそ

の観点からも深い示唆を与えている。

 自然児・利休にとって、秀吉は次の時代を形成する統括者、権力者であり、当

然そこには自然を歪曲する力が加わっていくであろうことを、利休は見抜いてい

た。

 だが、利休は秀吉という危険なパトロンがいて初めて天下の利休としての仕事

ができたということも否定できない。

 利休の死に関しては数々の謎が渦巻いている。

 この論の本筋からはそれるので荒っぽい書き方しかできないが、私としては、

利休はむしろ積極的に死に挑んでいったのではないか、彼の中の秀吉を殺した

のではないかと思う。

 そのあたりのところは来年の映画「利休」に期待しようではないか。

 勅使河原宏の中の秀吉(組織者としての家元)と利休(芸術家)をどのように展

開していくのかということにも興味をそそられる。

 これは氏自身のアイデンティティーを探る旅になるだろう。

 

  作家と植物とのかかわり方

 

 さて話は一気に現実に戻る。

 今夏は草月創造の空間展(7月4日〜9日)第8回マイイケバナ小原夏樹主催

公募展(8月26日〜29日)、龍生派現代いけばな新人展(8月27日〜28日)と

、いけばな界を代表する各派の若手作家による花展が開催され、現代いけばな

の潮流を把握するにはよい機会に恵まれた。

 しかし、その期待とは裏腹にいずれも概して低調な結果に終わった。

 ややマンネリ化した展示方法によることもその一因ではある。

 さらにこれまで述べてきた自然といけばな作家の間が私自身のなかで大きく立

ちはだかっていたせいでもあるのか、作家それぞれの植物に対する思いがかな

り希薄になってきているのではないかと感じられた。

 もちろんこれまでにない新しいいけばなを目指すのであるから異素材や奇抜さ

もあっていいとは思うものの、それがほんの思いつきだけのことに終わってしまっ

ていてコンセプトの煮詰め方、つまり作家と植物とのかかわり方が弱かったよう

だ。

 空間展では日向洋一、中田和子、田沢涼、石上香玉らの安定した仕事ぶりの

ほか、“キクは動物の臭い”と題し、腐敗したキクの上に紙をのせ五個の石を置

いた伊藤怜子の作品が一種異様なバイタリティーを見せていた。

 作品の周りを飛び回っていたハエは作者の作品であるのかどうか確かめられ

なかったが、草月プラザのなかで一段と存在感のあるモノとなっていた。

植物を手でひきちぎって、土の中から露出させた青木千光、樹にこだわり着実に

自己の世界を拡げている五十野雅峰、紙と雑木で有機的な動きを出していた細

野葉霞、プラザの石をワラで巻きもう一つのモノを取り出してみせた久保島一超

らの作品が印象に残った。

 マイイケバナ展では、セメント?を11本の竹で立ち上がらせた横東宏和の力

強い造形が光り、宮浦照子の重ねられた和紙の上に深く刻み付けられた緑のシ

ミ(おそらく植物の)は植物の力を感じさせた。

 小林憲一のトウガラシの山積みは白地のなかの丸いへこみに収められている

ため、ちょうど日本国旗を連想させる。

 それらが赤く蠢いているかのように見え、現代日本の無気味な風刺となりえて

いる。

 他にも河村稔、安田修子、遠藤尚子らが健闘していた。

 会場にはタイトルを付けた作品が大分見受けられたが、タイトルですでに作品

を説明してしまっている場合が多く、もう少し言葉に気をつかって欲しかった。

 龍生派新人展では野外のものにおおらかな作品が多かった。

 中でも、薄い木の板を連結させた木村彩光の仕事が、古い建物が多く、生活感

の漂う会館周囲の風景を荒々しく取り込むことに成功していた。

 田中朋水もストレリチアとガラス板で緑の芝生をうまく生かした。

 建物内の展示では緑の葉の表裏を廊下と教室入り口部分に点在させた小武

山龍泉、何かを包みこんだような葉裏が軟体動物的なイメージを伝える二階堂

美枝、ナスの頭部だけをただ並べただけだが、まるで異なった表情を現出させた

青柳萌香など、面白いと思った。

 今年前半期の個展では大久保雅永(新宿スペース107 2月11日〜14日)、

尾中千草 (銀座和光ホール 6月14日〜21日)の両ベテラン作家が“我が道

を行く”といったような余裕ある展開を見せ、そのエネルギッシュな活躍には頭が

下がった。

 今後も独自な世界をゆったりと深めていっていただきたい。

 相変わらず精力的な仮屋崎省吾は、朽ち木をひび割れた土の中に埋め込み、

土シリーズのさらに一歩踏み込んだものとなった(青山ギャラリー葉 5月16日

〜28日)。

 昨年に引き続いて個展を開いた日向洋一、中田和子は一段と力をつけてきた

 中田和子は1982年草月展に出品した青桐と土と鉄によって草月出版賞を獲

得、にわかに注目を浴びた。

 当時鉄はまだ作者によってユニークな形にデザインされたオブジェ風の物がほ

とんどで、彼女のように鉄を鉄そのものとして植物にかかわらせた作品はなかっ

たと思う。

 以後の草月展も同シリーズを着実にこなし昨年秋初の個展を行い、今年もギャ

ラリー山口で個展を開いた(6月6日〜11日)。

 青桐の列がだんだんと鉄とからんでいき、最後には鉄柱となるという物語を秘

めた構成になっていて、なぜか人気のない街に建物の影がナナメに落ちている

キリコの絵を思い出した。

 無機物であるからといっても錆を帯びた赤茶色の鉄は生き物のように表情豊か

だし青桐もかなり年輪を経た表情がつけられている。

 鉄柱のほうから歩むのと、青桐の木から歩きだすのとでは全く違うドラマが展開

され、そこで順次訪れる少しのズレが魅力的だ。

 自然と人工との葛藤であるのか、共存ととるのか、そんなことは見る方におま

かせしますというかのように我々をおいてきぼりにして、作品はこよなく空間全体

を清浄化していた。

 焼けた雑木を太い鉄線で組み上げ、石をところどころ積み上げた日向の造形

はよりいっそう緊張感にあふれ、会場の空気を一変させた傑作となっていた(日

本橋・真木画廊 4月18日〜24日)。

 氏はウッディアート・フェスティバル(6月10日〜12日)にも入選、ウオーターフ

ロント新木場で同様なインスタレーションを行った。

 ただちょっと気になったのは野外に出たとき、作品の凝集力がいくぶん弱まっ

たように感じられたことだ。

 野性味のなかに繊細さがかいまみられ、いけばな作家としての行儀の良さがあ

だになったのかと思った。

 私は会場を一巡したあと、その背景となった木場の川にしばらく眼を遣った。

 そこには沢山の丸太がイカダのようにくくり付けられている、あの独得な風景が

広がっていた。

 それは不思議なリアリティーを見るものに迫っていて、これこそウッディアート・

フェスティバルの番外大賞であると一人思ったものだ。

 

     内なる自然、外なる自然

 

 なぜかくも日常の光景が鮮やかに眼に飛び込んできたのであろうか。

例えば瀬戸内海地方によく見られる段々畑は、そこに住む人たちにとっては苦役

以外のなにものでもないが、予備知識を持たない私たちには一つの美的風景と

して広がる。

 それは芸術作品を作ってやろうとか、美しく見せようといったような魂胆が全く無

いことによって、逆に崇高な美しさを持っている。

 その美しさを発見するのは私たち自身の心の中にある自然である。

 赤瀬川原平が主唱しているトマソンという超芸術概念も発見、観察の美学だ。

 それは作為性の否定によって成り立っている。

 垂れ下がった植物の枝が風に吹かれるたびに下の塀にかすかなキズを付け、

その風の行為が何年かするとはっきりと形になって立ち現れてくる“風のレコード

”。

 庭に放置されていた古自転車にしだいに蔦がからみ始め、とうとう自転車を包

み込んでしまったものなど、彼と同好の士らの眼力によってその面白さが発見さ

れている。

 もしそうしたトマソンがそこにあったとしてもAという人間は面白がり、Bという人

間は全く気にも止めないで立ち去ってしまうかもしれない。

 私たちは美術館に展示されてあれば価値ある芸術品であると思い込み、日常

茶飯事に見られるものは最初から切り捨てて見てはいないだろうか。

 そうした管理化、制御化した物の見方からは新しい美は発見できない。

 利休が朝鮮の雑器から一つの茶碗を見出し、フチの欠けた不完全な陶を取り

上げてその美を称賛したことも、彼の眼のなにものにもとらわれない確かさ、そし

てそれを支える自然観があったからに他ならない。

 利休はその発見をわび茶の美学の要に据え茶を点てるパフォーマンス(という

仕掛け)によって全国にわび数寄者たちを育成していった。

 生と死の谷間に足を架けていた彼らの一期一会のパフォーマンスは、その過ぎ

行くもののうちに、内なる自然をみつめる契機として機能した。

 ゴールズワージーは外なる自然とじかに接触してそこに彼の痕跡を残し、“写真

”という方法で自然との対話の仕方を教えてくれた。

 赤瀬川は大都会のなかに人間の技術の痕跡をも含めて自然の行為のあとを

発見し、それを魅力的な“文体”によって他者に伝達している。

 

「風は見えますか」とある時三才になる子供に聞かれたことがあった。

 その時、私は思わず笑って「風なんか見えるわけないだろう」と軽くかわしてしま

った。

 だが後になって考えてみると、この「風は見えますか」という問いかけは、今の

私にとってひどく重要なものに思えてきた。

 このような発想は私たち自然を忘れかけてしまった大人たちをたじろがせる。

 確かに風は見えないが、見ようと思う人には見えてくるのである。

 それはゴールズワージーであり、利休であり、赤瀬川原平である。

 彼らは彼らだけにしかない、かけがえのないたった一つの自然を幻視していた

のだ。

 一人一人の心の中にある内なる自然は、外なる自然が健全に機能しているこ

とによって初めて見えてくる。

 その意味でも人間は自然と、ともにあらねばならない。

 そしてその外側の自然を共通感覚的に把握し、あらゆるエッセンスを吸収する

ことによって新しい美学が湧き出てくるのだろう。

 内なる自然と外なる自然が理想的な状態で交わるとき、創造の輝きは頂点に

達する。

 

                       (了)